椿屋四重奏について
椿屋四重奏が2011年1月11日に解散して、一年以上が経ってしまった。椿屋四重奏は2000年にヴォーカルの中田裕二さんを中心に結成された。『和』を意識した楽曲の『艶ロック』とも呼称されている。歌詞は全て日本語というのも特徴の一つかも知れない。
私が椿屋四重奏を初めて聴いたのは、2005年6月のMステだった。
たまたま見ていた『今週のヤングガン』のコーナーに登場したのが、椿屋四重奏だった。派手なビジュアルのバンドではなかったし、ガツーンとくるメッセージ性をはらんでいるバンドでもなかった。聞き流そうとしながら、何故か、心に残って、残ったことを、どこかで認めたくないような気もしていた。最初に聴いた時は、そんなひねくれた聴き方をしていた。
二年ほど前、どうしてもあの時の曲が聴きたいという欲求が湧きあがったが、私の記憶は退化しきってしまい、バンド名も曲名もあやふやになっていた。それでもネット検索をし、どうにかこうにか辿り着いた。私が聴いたのは『紫陽花』という曲だった。
覚えていた1フレーズは「笑いながら恋は 雨に流れて消えた」というところ。雨の日が多くなった6月の夜、偶然聴いた染みるように切ない曲の記憶を手繰り寄せて、どうにか辿り着けた。
椿屋四重奏の曲は、投げかける、呼びかけるという印象のよく耳にする曲とは違って、降るような、落すような、歌詞と演奏が多い。静かに、けれど強烈に心に届く。椿屋四重奏は、何もない、雑然とした空間を染めるような演奏をする。無機質な街並みが、夕暮れの淡い赤に隈なく覆われるのに似ている。
失った恋と、大切に想った人を「ずぶ濡れの紫陽花みたいに 綺麗で悲しい」と唄えるアーティストがいたことや、同じ時代にその歌を聴けたことを、私はとても幸運に思った。
椿屋四重奏が解散した時には、とても残念に思ったが、中田裕二さんがソロ活動を始めた。
聴く側の記憶に留まり続ける歌詞と、それを紡ぐ確かな感性と、染みるような歌声が、言葉になり、曲になり、歌になり、誰かの心に届く幸福な出会いが、また始まる。
音楽に素人であり続ける私は、日々自分に出来ることを頑張り、新たな幸福な偶然の出会いがありますように、と願っている。